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第1章 第1話 宰相婚約者と噂の朝

مؤلف: 夢見叶
last update تاريخ النشر: 2026-01-21 20:52:22

「王太子失脚! 舞踏会で断罪!」

「悪名高き令嬢、宰相閣下の婚約者に!」

「今度は宰相をたらし込んだのか、と市民は激怒!」

 門前から聞こえる新聞売りの声が、朝の空気を乱暴に切り裂いた。

 昨夜まで、わたくしは卒業舞踏会の光の中にいたはずなのに。

 気がつけば、王都はもう次の物語を売り歩いている。

 エルネスト侯爵家のサロンは、いつも通りに整っていた。

 白いクロス。磨かれた銀器。窓辺の薔薇。

 けれど、テーブルの上の新聞だけが、場違いなほど黒い。

 わたくしはカップを持ち上げ、香りを確かめてから口をつけた。

 この家の紅茶は、安心の味がする。

 だから余計に、紙面の文字が苦い。

 父が新聞を指先で弾いた。

 外交官らしい落ち着きのまま、声だけが少し低い。

「レティシア。見出しは派手だが、肝はここだ」

「どこですの」

「陛下が宰相の判断を全面的に支持するとコメントを出している。これが公式の線だ」

 母は新聞の別欄を覗き込み、目を輝かせた。

「まあ……公爵家当主からの求婚。しかも公の場で。これは伝説の始まりですわね」

「母上、伝説は厄介です」

「厄介でも、素敵よ。だって皆が驚くもの」

 母の声は弾んでいるのに、背筋に冷たいものが走った。

 皆が驚く。

 つまり、皆が勝手に物語を決める。

 昨夜、わたくしは確かに勝った。

 王太子アルノルトは拘束され、マリア様も調査対象になった。

 ゲームならそこで画面が切り替わって、破滅回避おめでとうの文字が出る。

 でも現実は、祝福より先に噂が走る。

 悪役令嬢が宰相を篭絡した。

 王太子を陥れた女が、次は国を操る。

 その言葉は、紙面から立ち上がって喉を締めた。

 父がわたくしを見た。

 政治家の目だ。

 同時に、父親の目でもある。

「恐れているな」

「当然ですわ。昨日まで、わたくしは悪役の役を押し付けられていたのですもの」

「だからこそ、宰相はおまえを選んだ」

「選んだ理由が才覚なら、まだ救いがありますわね。もし盾なら」

「盾だとしても、おまえは折れない。そこは父として誇っている」

 誇り。

 その言葉だけで涙が出そうになって、わたくしはカップの縁を見つめた。

 泣くのは後。

 泣ける場所を確保してから。

 母が手を伸ばし、わたくしの指先にそっと触れた。

「怖いのは分かるわ。でも、あなたは昨夜、自分の言葉で立ったのよ」

「借りております。証拠集めには、たくさんの人の手が」

「それでも、最後に立ったのはあなたよ」

 母の体温が、紅茶の温度より優しかった。

 胸の奥が揺れて、笑いそうになるのに、笑えない。

 この揺れが、恋の前触れなのか。

 それとも、破滅の記憶がまだ離れていないだけなのか。

 わたくしは昨夜の光景を思い出した。

 宰相クロード・フォン・ラグランジュ。

 黒髪に銀縁眼鏡。

 前に出て、淡々と求婚を告げた声。

 あの瞬間、会場の空気が変わった。

 王太子を失った貴族たちが凍りつき、笑う者が消えた。

 そして、胸元や指輪に薔薇の意匠を持つ婦人たちが、わたくしから視線を外した。

 避けるように。

 まるで、何かを計り直すように。

 自室に戻ると、窓の外は穏やかな青だった。

 不自然なほど、何も起きていない朝。

 だから、起きたことの異常さが際立つ。

 わたくしは鏡の中の自分に微笑んだ。

 金髪碧眼の令嬢。

 前世のわたくしが画面越しに見ていた悪役令嬢。

 攻略サイトには載っていない。宰相ルートは、情報が薄すぎる。

 未知のルート。

 つまり、落とし穴も未知だ。

 昨夜の求婚が、救いなのか罠なのか。

 その答えは、誰も教えてくれない。

 なら、わたくしが決めるだけだ。

 政略婚でも構わない。

 今度は、わたくしがハンドルを握る。

 誰かの台本に乗るのではなく、こちらから条件を出す。

 仕事も、立場も、身の守りも。

 全部、交渉して獲る。

 机の引き出しから、薄い帳面を出した。

 表紙の内側に、前世の癖で書きつけた単語が並ぶ。

 フラグ。分岐。好感度。

 笑える。

 けれど、わたくしを救ってきたのも、この滑稽な整理術だ。

 紙の上で、昨夜の出来事を盤面に落とし込む。

 王太子派は崩れた。

 ただ、消えたわけではない。

 むしろ、静観の皮をかぶって息を潜める。

 扉がノックされた。

 侍女が入ってきて、封のされた書状を差し出す。

「宰相官邸よりでございます。急ぎとのことです」

「もう……早いですわね」

 封蝋は黒。

 刻まれた印は、見慣れないほど簡素だった。

 わたくしは封を切り、中の短い文を読んだ。

『本日、午後。宰相官邸にて。形式は不要。必要なのは覚悟のみ。――クロード』

 喉が乾いた。

 形式は不要。

 つまり、遠慮も甘さも不要という意味だ。

 それでも、文末ののみが妙に真っ直ぐで。

 思考の奥のどこかが、じり、と熱くなる。

 書状を畳んだ指先が震えた。

 怖い。

 当然だ。

 でも、それだけではない。

 サロンに戻ると、父がすでに馬車の手配を終えていた。

「午後までに身支度を。同行は私だけだ。侯爵家として顔を立てる」

「ありがとうございます、父上」

「礼は後だ。宰相は忙しい。遅れれば、それだけで立場が歪む」

 母は迷う素振りもなく、別室へ向かった。

「ドレスを選びましょう。噂の主役は、粗相をしないのが最強よ」

「母上、最強はやめてください。新聞がまた増えます」

「増えさせなさい。噂は刃にも盾にもなるわ」

 盾。

 父の言葉と重なり、わたくしは息を止めた。

 さっきまで盾にされる恐れで苦しかったのに。

 今は盾を持てることが、少しだけ心強い。

 正午前、馬車に乗り込む。

 窓の外で、新聞売りがまた叫んでいる。

「宰相の婚約者は悪女か、救世主か!」

 どちらでも構わない。

 決めるのは世間ではなく、わたくしだ。

 けれど馬車が門を出る寸前、御者が小さく舌打ちした。

「また、これか」

 振り返ると、門扉の隙間に薄い紙が挟まっていた。

 誰の手か分からない。

 けれど、紙に残る匂いだけが妙に甘い。

 わたくしは指先でそれを抜き取り、裏を見た。

 黒いインクで、短い文。

『庭は剪定される。棘に触れた者から。』

 胸が冷えた。

 昨夜、視線を外した婦人たちの薔薇の意匠が脳裏をよぎる。

 そして、宰相の書状の言葉が重なる。

 形式は不要。

 必要なのは覚悟のみ。

 こうしてわたくしは、断罪の翌日にはもう次の婚約者のもとへ向かうだけでなく。

 誰かの刃が、こちらの喉元に触れていることまで知ってしまった。

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    last updateآخر تحديث : 2026-03-30
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  • 婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました   第2章 第6話 囮作戦前夜、破滅ルートは拾わない

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    last updateآخر تحديث : 2026-03-24
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